礼文島遺産ミュージアム

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近代

江戸時代末期に最初の移住者が礼文島にやってきたことを契機に、 明治時代に入ると移住者による本格的な島の開拓が始まります。 移住者の目的は漁業、中でも春先に大量に捕れるニシンを狙った新たな漁場開発にありました。

移住者の中からは、数ヶ所の漁場を経営する漁家も現れ、明治中期から大正時代にかけて、 千石場所ならぬ万石場所として島は繁栄を極めました。 しかし、昭和時代に入ると漁獲高は急激に減少し、昭和30年頃を境に礼文島でのニシン漁は終わりを迎えました。

一方、移住者の増加に伴い、各集落では成功した建網漁家が建立した祠を地域共有の財産として、 社殿等を整えて神社としていく動きが始まります。明治中ごろから後半にかけて、 島内の集落ほぼ全域で神社が整備され、地域住民の心の支える場所として現在に至っています。

地図

うしろに※がついている神社は写真が掲載されていません

礼文島のニシン漁

かつて、島の水産業の中心であり、町の発展の礎となったニシン漁を紹介します。

ニシン漁

神社

明治時代から現在に至るまで、地域の人々によって大切に守られてきた礼文島内の神社を紹介します。

神社